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ブリューナのバラ 2

【Tea roseとしての 仮称 ブリューナのバラについて】

視感覚的にはギルバート・ナボナンドのそれに似た樹性で、
赤銅色に近い成熟枝にはほとんど棘は無く、20cm間隔で
一つ有るか無いか散見出来る程度。
横張り性の樹性ながら、ギルバート・ナボナンドの枝の様な
柔軟性はやや欠如していて、剛でまっすぐ斜め横に伸びる…
と云う点では、ママン・コシェに似ている。
棘がほとんど無い他に思い当たる品種としては、ルーベンス、
ペルル・デ・ジャルダン、ミセス・ダーズリー・クロス等があるが、
ルーベンスはより葉が密に茂って成熟枝は赤銅色では無い。
ペルル・デ・ジャルダンはより直立性が強い…と云った印象。
またミセス・ダーズリー・クロスは樹性そのものは類似しているが、
樹も葉も大型でこれも趣が異なる。

枝はシュートも成熟枝も赤銅色で、子葉は照葉で比較的肉厚
ながら小型で細長く、葉が肉厚の点を除いてはChinaの
ムタビリスにも類似している様に思える。
ただ一つの新芽から複数の新枝が展開し、瞬く間に密に葉が茂る
ムタビリスの様な逞しさは見られないものの、全体の印象は棘が
有る無しを除いては同じ様に見える。
また棘の状況や葉の形状は全く異なる事は別として、距離を離れて
の目視の印象では、成熟枝の色・枝振り・株立ち等はサフラノにも
似ている。
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さてTea roseの多くの品種が作出されたのは1880年以降からであり、
品種全体の約7割を上回る。
ブリューナが富岡に着任したのは1872年(明治5年)で、従って彼が
当地に持ち込んだのは、それ以前に存在していた約3割の品種の中
のどれかに当たる…と云う事になる。
ただ前期(1820~1850年頃)の品種は、かなり樹性がChinaと
クロスしていて、例えば、ル・ヴェスューヴ(1825年)が良い例で、
国や人に拠ってTeaにもChinaにも分類されているほど、典型的な
Tea系の樹性をまだ確立していない。
他にもこの期間作出の…マダム・ブラヴィー、ル・パクトル、ラ・シルフィード
などもChina品種に分類しても決しておかしくない樹性だと思います。

以上の事から典型的にTeaの特徴が顕著なブリューナが持ち込んだバラは、
1850~1870年間にフランスで作出されたティーローズの可能性が
高いのでは?…と考えられます。

上記に揚げた類似点のある品種の中では、唯一ルーベンスが1859年
の生まれだが、残念ながら明らかに「ブリューナのバラ」とは別品種である。
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さて花の形状は、実際当地にて見聞したのは先日1月中旬だったため、
昨年晩秋に開花しかけて、その後休眠に入り寒さで退色した花が2つ程、
また蕾の状態のものが数個確認出来た程度。
ステムの特徴はビューティ・インコンスタンテ、スヴェニール・ダン・ナミ、
クレメンティナ・カーボネリを彷彿とするもので、細っそりとして長くたおやか
ながら、花首そのものはそれ程弱く無さそうで、斜め上にしっかりと開花していた。
またステムの先端には蕾は一つが原則で房咲きにはならない様子。
花径は7~8cmでより大きく、実際の花色は不明ながら花径・花色共に
最初に見た印象はマダム・アントワ・マリに似ていたが、
花弁数は倍以上で重ねが厚いと云った印象…5月の開花が本当に待ち遠しい。
または御礼の挨拶を兼ねて、近々訪ねて見たい気もする。
写真撮影と云う御仕事柄、間違い無く少なからず花の画像をお持ちなのでは?…
と帰着してから気が付き、そう考え出したら明日にでもまた向かいたくなる
始末です(笑)

【ポールブリューナと官営富岡製糸場】
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(写真の後列右から二人目がプリューナ)
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苗を賜った際、一緒に頂いたポールブリューナの経歴コピーの文面は原文のまま
以下の通り引用させて頂きます。

ポールブリューナPaul Brunatは1840年(天保11年)6月30日佛國
ドローム州 ブルグトプーヂ村に生まれ、幼少より養蠶製絲の研究を為し、
壮年里昂に出で製絲撚絲の問屋に入り、生絲の取引絹織物の研究を為し、
後同地の東洋生絲輸入專門の一商會に聘せられ、
明治二年横濱和蘭八番館主カイゼナイモルの招聘に應じ來朝し、
同三年我が政府に傭聘せられ富岡製絲所創建に盡瘁し、
工場管理及技術上の指導を為して効績を擧げた。同八年任期滿ちて歸國の
途次上海に滞在し、同十一年上海に賓昌絲廠を設立したるが一旦歸國の後、
同十七年上海の米商人ラスセル商會の聘に應じ生絲購買の衝に當り、
又同商會の為に六百六十釜の伊太利式製絲場を建設し、亞で八百人繰の
製絲場を盡く引き受けたるも他の製絲場との競争の弊甚しき為機敏にも早く
支那人に譲渡し、單に欧州向生絲の仲買商を營んだ。
斯くして永年蓄積したる富は數十萬圓に達し老後を故山に靜養せんと欲し
同三十九年二月家族を携へて我が邦を訪ひ懐奮の情緒を遣るべく富岡製絲所を
訪れ璽来三十年を經て其の進歩發達の顯著なるに驚嘆すると共に
眞に今昔の感に堪えざるものの如く、俯仰徘徊去る有様であつたと謂はれる。
翌四十年一月大日本蠶絲會は其の功績を賞し名譽金牌を授けて表彰した。
歸國後翌四十一年逝去した。

wikipediaより若干補足すると…

最初の来日は横浜港にて1866年3月22日(慶応2年2月6日)に到着とある。
明治3年7月(1870年8月)にイギリス公使館の書記らとともに候補地の視察に
出ている。
この際に武蔵国、上野国、信濃国を見て回り、交通の便が良い、動力源の石炭
および水が豊富 建材の石材が入手し易い事などから、富岡の陣屋予定地が
建設地に選定された。

1871年(明治4年)から日本政府に5年間雇用される事となった。
富岡製糸場の建設に先立って機材購入や技師の雇用のために一時帰仏した後、
製糸工2名・工女4名と契約を交わし、さらに当時18歳のエミリー・アレクサンド
リーヌと結婚。彼らとともに1871年10月29日にマルセイユを出航し、
横浜港に再来日を果たす。

契約年間ブリューナには月給600円に加えて賄金が毎年1,800円、合計9,000円
の年俸が支払われており、お雇い外国人のフランス人としては横須賀製鉄所の
レオンス・ヴェルニーが受け取っていた年俸10,000円に次ぐ金額であった。
一般的な日本人職工の年俸74円などに比べて非常に高額なことから後に
問題となり、1874年(明治7年)7月8日には大久保利通が、同年8月には
伊藤博文が三条実美に契約の中途解約を進言している。

1872年(明治5年)7月には妻のエミリーとの間にマリ・ジャンヌ・ジョゼフィーヌ
という長女が生まれ、横浜のイエズス会で洗礼を受けた。後に次女も生まれ、
契約を終えて1876年(明治9年)2月15日に横浜港から一家は帰仏とある。

1906年(明治39年)には上海からフランスに帰る途中、8月2日に再々
来日を果たす。
数日間を横浜で過ごした後、8月20日まで富岡製糸場など各地を回って
横浜に戻り、数日後には箱根を訪れて富士屋ホテルに1ヶ月ほど滞在している。

【ブリューナ館】
世界遺産暫定リストに記載され、明治8年(1875年)以前の建造物群が
国の重要文化財に指定されている富岡製糸場内には、ブリューナ館
なる建物がある。
明治6年(1873)建設。広さ320坪(1056㎡)木骨レンガ造平屋建ての住宅。
高床で廻廊風のベランダやよろい戸がある開放的な造りが特徴。
ポール・ブリューナは、明治8年(1875)末の任期満期まで家族と共に居住した。
その後内部は改造され、工女の夜学校や片倉富岡高等学園として利用された。
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さてその前庭には残念ながら現在「ブリューナのバラ 」は存在しない。
このバラ他多数の品種苗を当時ブリューナは本国から取り寄せたのか?
あるいは何本か持ち込み植栽されていた株から、後年挿し木苗などで
市内に頒布され、140年を経てこの品種のみが残ったかどうか…
勿論今となっては全く不明です。
昨年1月冨岡製糸場を訪ねた折、「この建物の前庭にはTea roseが良く
映えると思う云々…」とブログに載せましたが、本当に植えられていた
事が想像されて、まさに感無量です。
「ブリューナのバラ 」として「ローズ冨岡」として大切に保存し、
長く後世に伝えて行かなければならない掛け替えの無い文化財と考えます。
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by roseantique | 2013-01-23 18:19

ブリューナのバラ

さて、そうしてそろそろ帰路に着こうかと思い始めた時、
ふと目の前を茶トラのニャンコが横切って行き、
振り返ってこちらをじーーっと見つめているので、
最後に和みの1枚を撮ってやろうとそのニャンコにくっ付いて行きましたら…
何と!その先に運命的な出会い(ちょっとオーバー)が自分を
待っていたのであります。
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この「ひらのや写場 マリア館」さんは、昨年5月のブログの
末尾で紹介して、蔵の前庭にバラが植えられていた事は憶えていたのですが、
ニャンコに導かれて、その植えられている数十本のバラの前に来て
改めて眺めていると、そのバラ達に只者ならぬオーラを感じたのです。
(画像には写っていませんが、小径の左側にも沢山植えられています)

良く良く観察すると、それらのバラは全て同一品種である事。
そうして。。。ここが一番感動的な箇所なんですけど(笑)、明らかに
樹形・葉の様子でTea Roseである事がまず間違い無い事。
それもこれまで見た事も無い、ミステリアスローズなのであります。
こんな立札も立っていました(感涙)
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すっかり夢心地になってしまい、でも恐る恐る蔵の向うには何が
あるんだろうと、思い切って歩いて行きましたら…
蔵の横に沢山のポット苗が並んでいるではありませんか!
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表からは見えなかったのですけど、蔵の向こう側にはおしゃれな
青い外観の写真スタジオがあり、幸運にもその御主人と目が合って、
何度もお辞儀をしましたら、明日の成人の日の撮影の準備にお忙しい
はずなのに、ニコニコして苗の所までやって来て下さいました。

小生、開口一番…「このバラは、一体どうされたんですか!?」
御主人…「140年前から我が家に植えられていたバラなんですけど、
明治5年にフランスから来たバラと云う事の他は、名前も解らない
バラです。普通の咲き方と違っていて、フランスのバラって咲き方が
違うみたいですね。ほらあの奥の根元が洞になっている大きなのが
その140年前からある親の木です。」と画像のバラを指差された。
小生…「なるほど…ではその立札にある富岡製糸場の外国人技師
ポール・ブリューナ氏が、当時フランスから持ち込んだバラなんですね!」
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もう頭の中は感激で冷静な思考が失われている。
御主人…「富岡の街の中には、我が家と同じバラがまだあちこちで見かけますよ」
幸運にも富岡では空襲は無かったのかしらん?
横浜ではやはり幕末~明治初年に山手外国人居留区に沢山のバラ、
特にTea Roseが植えられていた事が資料文献で判っている。
(ブリューナ自身は1866年3月に横浜港に到着)
しかし関東大震災・戦争中の空襲で、現在そのほとんどが失われてしまっている。
正しく富岡の奇跡である…以前から何と無く富岡の街に惹かれ、少なからずの
身内や知り合いに何処がそんなに良いのかなぁ?理解不能…って云われて来ました
けど、このバラが自分を呼んでいた所為なのかな?なーんて、暫しナルシスティック
な感慨に浸っている始末です。

小生…「すみません、この苗一つ売って頂けないでしょうか?」
御主人…「いえいえ差し上げますよ、完全に発根してるのはもう2つしか
残っていませんけど、どうぞ一つお持ちになって下さい。春と秋に2回
挿し木をして、春の分は秋に秋の分は春に2回毎年希望者に差し上げ
ているんですよ。 こちらの沢山なのはまだ十分根が出ているかどうか、
甚だ疑問です。次回は5月に頒布しますから、お花見を兼ねて
またお出掛け下さいね。」
何て良い方なんだろう!!苗販売をしている自分がちょっと恥ずかしい。。。

持ち帰り用のビニール袋まできちんと準備してあって、加えてポール・ブリューナ
の経歴を記したコピーまで添えて頂き、感無量で帰路に着いた次第です。
「このバラの事、きっと調べます。名前が解るかどうか自信はありませんが、
もし解ったら必ず御報告に参ります。」とお約束して…そうして賜ったこのTea Rose
を繁殖して苗をこさえても、御主人の高潔な志に敬意を表し決して販売はせず、
「ブリューナのバラ」として当方でも来訪者に無料頒布する事を心に決めて。
その恋人を助手席に置いて夢心地で車を走らせました。

最後に導いてくれた富岡のニャンコ、神様の使いみたいだったね、
本当にありがとう~~。

さて、次回はこのバラの樹性…特に他のTea品種との自己流比較考察・
ポール・ブリューナの生涯年譜などをもうちょっと詳しく述べてみるつもりです。
まずはとりあえずHelpmefind.comをリサーチ♪
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《御願い》
このブログをお読みになられたお方の中で、実際当地に見学に行かれる
方もいらっしゃるでしょう。ここの御主人は本当に気持ちの良い方で、
御在宅の折にはきっと色々と熱心に御説明下さると思います。
ただ、庭がある場所はお仕事場も兼ねていますので、
どうかあまりご迷惑になりません様御配慮下さいませ。
特にあまり専門的な質問、苗の複数の所望等は、ぜひお控え下さいね。
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by roseantique | 2013-01-16 00:51

レトロ富岡 2

今冬の寒さは本当に異常です。
すでに昨年より半月も早く、ファームの大地はスコップの刃が
全く入らない程深くまで全面結氷してしまい、鉢上げ作業が
不可能になりました。

すると思考回路は自動的に。。。
作業中止=西上州へのセンチメンタルjourney~~!
…と云う事で、またまた愛しの富岡に出没して来ました。

今回はいつもネットで見て憧れていたレトロな「急行食堂」さんへ。
年甲斐も無く、ここの中華そばとミニソースかつ丼のセットが食べるのが
第一の目的…って云うのが何とも我ながら哀れですけどね。
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店内は何もかも昭和してます、イイなぁ。
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メニューが全て手書きってのもイイ。
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…で肝心のお味は、小さい頃食べた記憶が甦る懐かしく普通に美味しい、
そうして決して飽きの来ない味でした。やっぱ来て良かった!!
因みにこの急行食堂さんのお隣が…
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中華そばと団子(何と泣かせる取り合わせでしょう)の店、「飯島屋」さん。
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国道をはさんで、筋向いが「新洋亭」さん。
曰く、富岡レトロ食堂トライアングル(笑)
でもこの他にもまだまだ沢山のレトロなお店が有って、
お邪魔する度何処へ入るか迷ってしまい、ホント困っちゃいます(爆)
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それから、またいつもの様に何の当ても無く製糸場界隈の街並をさまよい
歩いていた処、帰り際に信じられない運命的なバラとの出会いが
待っていたのであります。この感動的な出会いのお話はでもまた今度します。
近日中をお楽しみに~~~♪ 本当に凄い新発見なんですよ。
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by roseantique | 2013-01-14 00:44